other voices

洋楽歌詞の和訳や映画のことなど🎵

映画『ガタカ』を振り返る ※ネタバレ感想&考察

映画『ガタカ』(1997年)に関するネタバレ込みの感想と考察記事です。未見の方はご注意ください。

 

f:id:after-tonight:20210325222446p:plain

ガタカ』 1997年公開 アメリ

監督・脚本:アンドリュー・ニコル

出演:イーサン・ホーク ユマ・サーマン ジュード・ロウ 

  

映画『ガタカ』の感想をいつかまとめたいと思いながら10年が経ってしまった。この映画、ほんとに好きなんです。ほんとに好きとかいいながら、初見から10年間のブランクがあったわけですが、その10年の間も時々頭の中で映画の世界を思い浮かべて探検してみることがあるくらいには好きでした。

つい最近10年ぶりに二度目を観て、やはりとてもよくて、そんなに好きならもういい加減どこかにまとめておかないとってことでこの記事を書いています。

 

目次

 

 この映画は一応SF映画のジャンルに分類されるのでしょうけれども、『スター・ウォーズ』や『2001年宇宙の旅』のようないわゆるハードSFの要素はあまりありません。遺伝子操作が当たり前となった「近未来ディストピア」を舞台にしたヒューマン・ドラマという趣が強い作品です。

ヒトの遺伝子への操作が当たり前となり、生まれながらに遺伝子によって運命を決定される世界とはどんなものかしらという壮大な思考実験のような内容になっています。優生学の思想に支配された社会とはどんなものか、といった。

本作はあのNASAからも「最も現実的なSF映画」と評価されるほどだそうで(そういうのがあるんですねw)、世界観はとてもよく作りこまれ、人間社会に対する洞察の鋭さは公開から20年を経た今でも新鮮な発見があるほどです。

 

近未来ディストピア的あらすじ

「そう遠くはない未来」。科学の発展により、遺伝子操作が当たり前となり、エリートとしての素質を備える「適正者」とよばれる支配階級と、自然出産により生まれながらに遺伝的欠陥を抱えるとされている労働者階級の「不適正者」に社会は二分されている。自然出産により「不適正者」としてこの世に生を受けた主人公のヴィンセント・フリーマンは、幼いころから宇宙飛行士になることを夢見る。しかし、「適正者」でなければ「ガタカ」の一員となることはできず、彼は事故により半身不随となった「適正者」から遺伝情報を買い取り、彼に成りすますことで宇宙への夢を叶えようとする。 

 映画「ガタカ」感想・評価:人間の能力は遺伝そのものか、それとも努力によるものなのか? | 辰々のお薦め映画とベストテン

 

映画公開当時の1997年はヒトゲノムの解明計画が進行中で、世界に衝撃をあたえたクローン羊のドリーが誕生したのは1996年のことでした。 

ガタカ(Gattaca)』というタイトルの由来はDNAを構成する4つの塩基、A(アデニン)、G(グアニン)、T(チミン)、C(シトシン)から来ています。

 

「改良されたヒト」

ガタカ』は映像と音楽がとにかくいい! 感想記事にあるまじき割とそのまんまの感想ですが、そのつくりこまれた世界観のほか『ガタカ』で特筆すべきは、シンメトリーの構図や、色の表現といった映像美、それからMichael Nymanマイケル・ナイマン)による音楽が大変に美しいことです。このあたりの表現の巧みさが作品に未来的な雰囲気をあたえているのですね。

音楽について特に印象的だったのは、中盤でヴィンセントとアイリーンがデートに出かける場面。そこは指が12本あるピアニストのコンサート会場でした。演奏者は卓越したピアニストとなるために生まれながらに指が12本あるように「設計」されたことが暗示されています。

特定の目的を果たすために”品種改良されたヒト”がごく自然に『ガタカ』の近未来ディストピア社会には浸透している。そのことがこのシーンでは表現されているのですね。

12本の指で奏でられる旋律は大変美しく、ヴィンセントとアイリーンを含め観客はみな夢見心地の表情で聴き入っています。

演奏されているのは、シューベルト即興曲op.90第3。「12本指用」にMichael Nymanがアレンジした曲です。右手の指が6本でもないと届かないような高音域の旋律が追加されています。

このアレンジではその高音域の旋律が特に美しいですね。と同時に、どこか繊細で物悲しい様子も感じられ、生まれながらに運命が決定されることや、繊細なバランスのうえに成り立っているディストピア社会の寂しい様子までも伝わってくるようでした。作中で一番好きな曲です。

↓こちらからも聴くことができます♪


Michael Nyman - Impromptu For 12 Fingers

 

 サントラ収録。

Gattaca: Original Motion Picture Soundtrack

Gattaca: Original Motion Picture Soundtrack

  • アーティスト:OST
  • 発売日: 2003/08/19
  • メディア: CD
 

 

 

遺伝的身分とのはざまで

さて、ヴィンセントは宇宙へ行くという夢をかなえるために、遺伝的に劣る「不適正者」ながら、猛勉強と身体のトレーニングの努力を重ね、一度は正規ルートでの「ガタカ・コーポレーション」への就職を目指しますが、どんなに履歴書を盛って書いたところで、「血液に書かれた履歴書」の壁に阻まれてうまくいきません。

夢をかなえるためには遺伝子から別人にならなければならないと彼は悟ります。

「不適正者」が「適正者」の遺伝情報を借りることは、ガタカ社会では“Borrowed ladder(ハシゴを借りる)”とか”de-gene-rate(gene=遺伝子、遺伝情報を取り除いたやつ)”などとよばれ、(登場人物のセリフなどから)一応犯罪的な扱いのようです。そりゃそうですよね…。

(この場面までに「適正者」として生まれた弟との確執に関するシーンがありますが、本記事では考察を省略しています)

 

ヴィンセントは「闇DNAブローカー」の紹介により、交通事故で車いす生活を余儀なくされている「適正者」のジェローム・ユージーン・モローに会い、顔立ちや体格が近いといった条件から彼になりすますことに決めます。

ジェローム(紛らわしいので、以下、ミドルネームであるユージーンと呼びます)は、かつては将来を嘱望された水泳選手でしたが、彼の優秀な遺伝子(優秀どころではなく人類の頂点に立つことを目的に設計された遺伝子)をもってしても結果は銀メダルに終わってしまい、彼はその挫折が原因で深刻なうつ状態に陥っていました。

そんな「適正者」として最強の遺伝子を持ちながらも、結局は二番手以上にはなれなかったユージーンの状況を見るにつけ、ヴィンセントは次のようにモノローグで語っています。

For the geneticly superior, success is easier to attain, but is by no means guaranteed.
After all, there is no gene for fate.

遺伝的エリートにとって成功はたやすい。しかし保証されているわけではない。

運命に対する遺伝子は存在しないのだ。

 

彼の家でヴィンセントが見たのは、床には酒の空き瓶が散乱し、つねに煙草を吸い世捨て人さながらの暗い表情でたたずむユージーンの姿でした。

で、ここから先、ストーリーのBL的エモさがとにかく半端じゃないんです。

 

二人は一人、一人は二人

ガタカ』の社会では遺伝情報によって個人が識別されているため、他人に遺伝的に成りすますには、いたるところに設置された生体検査装置の目をかいくぐる必要があります。

ユージーンは毎日、自身の血液や尿といった生体サンプルをヴィンセントに提供し、同時にヴィンセントは自身の「劣った遺伝情報」が検査に触れないように、毎日徹底的に体を洗い、古い皮膚を落とし、抜け毛を処理し、「ヴィンセント・フリーマン」の証拠を隠し続けなければならない生活を送り始めます。

彼はユージーンの遺伝情報を使うことで、「不適正者」としては清掃員でしか出入りできなかったガタカへ、血液検査による“面接”だけで一発合格を決め、「ジェローム・ユージーン・モロー」としてあっさりその一員に認められます。

ここの前後から彼ら二人の「二人で一人」というべき共同生活が始まります。ヴィンセントがガタカに勤務している間、ユージーンは毎日家でせっせと自身の血液や尿をはじめ、爪や剥落した皮膚、毛髪といった遺伝情報が含まれる素材をパックに詰める作業にいそしみます。ヴィンセントはガタカから得られる給料で家賃を払い、日用品の買い出しや、車いす生活のユージーンの身の回りの世話をしてあげることになります。端的に言って結婚生活のようです。

“ユージーン(Eugene)”という名は、「良い生まれの者」という意味なのだそうです。名前に遺伝子を意味する"gene"が含まれていますし、geneという語はそもそも生まれを指します。ちなみに優生学は英語で“eugenics”でありますので、本作の主題にぴったりと沿うキャラクターの名前となっているかと思います。 *1

 

本作でのヴィンセントとユージーンの関係は、お互いがいなければ生きていけないという究極の依存関係のかたちをとって表現されています。

演じているのがイーサン・ホークジュード・ロウというイケメン×イケメンの組み合わせの破壊力はさておき、そもそもお互いがお互いを必要としていて相手なくしては生きていけない関係というのは古今東西どんな話でもエモいですよね。

この二人の関係には、すごくすごく言葉では言い表せないようなエロティックさがあると思うのです。そもそも日常的に体液を共有しているわけですし………。

 

削除されたシーン

ところで、DVDなどに収録されている、本編からは削除された未公開シーンというのがあるのですが、そこでヴィンセントの両親は「地元の遺伝専門医」に生まれてくる子供(弟アントンのこと)が“将来家族を持てるように望む”というシーンがあります。

これは生まれてくる子供から同性愛的傾向を排除したい意図と読めるので、この世界ではそのような個人の性的指向までもが遺伝子により決定されると考えられている世界なのだということになっています。(削除されたシーンなのであくまで参考程度に)

しかし本作では、ヴィンセントとユージーンの関係は友情をはるかに超えて、互いの利害の一致だけで結びついた以上の心の交流がそこには見出せるようにわたしには思えてなりませんでした。

先のヴィンセントの言葉にもあるように、

There is no gene for fate.

運命に対する遺伝子は存在しないのだ。

誰を愛するかということは運命の要素でしょうから、本作ではヴィンセントとユージーンの精神的な同性愛関係やアイリーンとの二度目のデートにおけるラブシーンなどでも、そのことが強くテーマとして意識されているように思いました。

作中の状況から、ヴィンセントはきっとユージーンがいなくても生きていけるのでしょう。しかし、ユージーンはヴィンセントがいなくなった後に生きていけるかどうかは非常に怪しい気がします。

そしてあのラストにつながっていくわけです。

 

ラストの意味について

エンディングシーン。ヴィンセントは念願のタイタン行きの宇宙船に乗ることに成功します。彼は宇宙船の中で、ユージーンから受け取った封筒を開き、そこに彼の遺髪が収められているのをみつけます。同じころ、地上ではユージーンが焼却炉の中で、彼の失敗の象徴である「銀メダル」を見つめていました。そして、どこか観念した表情のあと、彼は内側から焼却炉を点火。部屋には主を失った車いすだけが……。

このラストの意味については様々な解釈があるようですね。私もいまだに答えは出ていません。きっとどんな解釈だろうともそれは正しく、見る人の心の中に正解があるのだろうと思います。

ここから先は私の考えをまとめたもので、そんな解釈もあるのかと見てもらえばよいのですが、私はヴィンセントは宇宙行きの夢をかなえた後に地球に戻ってくる気はおそらくなかったのではないかと考えています。つまり、タイタン行きの途中で彼は命を落としてしまうのではないかと。

ヴィンセントの最後モノローグにもあるように、

For someone who was never meant for this world, I must confess… I'm suddenly having a hard time leaving it. Of course, they say every atom in our bodies was once part of a star.
Maybe I'm not leaving.

Maybe I'm going home.

この世界にとって取るに足らないもののひとりであったのに、僕は急にこの世界から離れがたく思えたことを告白せねばなるまい。とはいっても、人体をつくる原子はどれも、もともとは星の一部だったのだという。

であれば、僕は旅立とうとしているのではないのかもしれない。故郷に帰ろうとしているのかもしれない。

ヴィンセントは、宇宙への旅を「故郷に帰る」と表現していることや、そもそも彼はユージーンのIDを借りることで、遺伝検査をクリアし、ガタカに入ることを許されついには宇宙行きの夢をかなえるわけですが、実際は生まれながらに心臓に問題を抱えていますし、心臓がoverdueであるとかの発言や、地球での厳しい訓練にも耐えられていないことからも、宇宙への旅は、心臓に問題を抱える彼にとっては自殺行為に等しいものだったんじゃないかと思います。そうまでしてかなえたい夢だったということなのでしょうか……

その向こう見ずさは、引き返すことを考えずに弟アントンとどこまでも沖へ泳いでいった海のシーンとも重なる点があるように思います。

で、彼のそんな肉体的な現実をユージーンもおそらく分かっている。ただそれは語られない。大量のサンプルを用意したのは、ヴィンセントが宇宙から帰ってくる望みをつなぐため。

 

f:id:after-tonight:20210416234645p:plain


一方では、ユージーンも“旅に出る”意思をひそかに固めていた。

中盤でのユージーンの次の発言は、ラストに対する明確な示唆なわけですが、中盤の時点ではまだ絶望から立ち直れていない様子がうかがえます。

If at first you don't succeed,

try, try again.

はじめに成功しなかったとしても、

何度も何度も、成功するまでやるのさ

そんなお互いの現実というか思いは語られることはないものの、最後にヴィンセントが遺髪を見たときに思いのすべてが理解されたのではないかと思います。

あの遺髪には、二人で一つの夢をかなえたということや、ヴィンセントの夢にユージーンが寄り添っている様子や、二人で一人を演じてきた彼らが最後には真に一心同体となったことが暗に示されているのではないかと思えてならないんですね。

また、作中にはヴィンセントとアイリーンがお互いの髪を相手に差し出すという場面がありますが、彼らはどちらもその受け取った髪の毛を「風にさらわれた」といって捨て、つまり遺伝子検査にかけることはせずに(アイリーンはしたたかにも一度はジェロームの遺伝情報を調べていますけどね…笑)、互いに対する感情をことの成りゆきというか運命に任せることに決めるシーンが描かれています。

この様子から、ガタカの社会では親密な相手に髪(=遺伝情報を含むサンプル)を手渡すということに特別の意味を含んでいることがわかります。要するに好きってことです。

遺髪というのはそもそもそれ自体に特別な意味を持っていますから(歴史的には愛する人へ永遠の別れを前に渡すものですよね)、あの遺髪はヴィンセントに対するユージーンの思い(友情、感謝、ひょっとしたら愛情も)が最大限に表現されたものだったのでしょう。

最後のユージーンの言葉には、彼が絶望から立ち直れている様子がどことなくうかがえないでしょうか。

I got the better end of the deal.
I only lent you my body.

You lent me your dream.

得をしたのはこっちのほうさ。

おれは君に身体を貸しただけだが、

君はおれに夢を貸してくれた。

(いやこの発言エモすぎません…)

だから彼は、自分を縛り付ける遺伝的には完璧ながらももはや自由の利かなくなった身体からの脱出を指して「旅に出る」と表現したのでしょう。ちょうどヴィンセントが重力に縛られたこの世界から脱出するのと同じように。

大量のサンプル用意は、夢を与えてくれたヴィンセントに対して、自分が最後に残せる夢というか望みを彼にお返ししてあげるためなんじゃないかと、そう思います。

ラストの解釈について、答えはないのでしょうが、わたしはユージーンが亡くなったのは上記のことからも前向きな理由からだったのではないかと思うのです。

以上、映画『ガタカ』 の10年越しの感想でした。

 

Gattaca [Blu-ray]

Gattaca [Blu-ray]

  • 発売日: 2021/03/23
  • メディア: Blu-ray
 

最近4Kヴァージョンが出ました!

 

10年越しだというのに、今年はコロナで常に家に閉じこもっているせいか(?)、本作にドはまりしてしまい、いま、ネット上に落ちている『ガタカ』の脚本と思われるホンを読み終えたところです。

本作は、監督のアンドリュー・ニコルによって脚本も手掛けられているので、映像の世界観とダイレクトにリンクしている内容になっており、なかなか読みごたえがあります。

映像化されなかったシーンもたくさんあって、特にヴィンセントとユージーンの関係が脚本では映像以上に「濃い」んですね……。この二人の濃い人間関係について、また別の機会にまとめてみようと思います。明らかにBL作品です、これ。

(ネット上に落ちている脚本データはアップの経緯が不明なのでリンクははりませんが、「gattaca script」などのワードで割と容易に見つかります。)

 

2021.8追記 ガタカ脚本のまとめ記事を以下にアップしました。まさか10年越しにここまでこの作品にハマってしまうとは書いた本人が一番驚いています。

 

after-tonight.hatenablog.com

 

2021.9追記 さらに二次創作小説まで書いてしまいました。(ヴィンセントが無事に地球に帰還するAU)。

 

after-tonight.hatenablog.com

 

 

 

 ここまでお読みいただきありがとうございました(^^♪

 

*1:”ヴィンセント(Vincent)”の名は「征服する者」を意味するラテン語が語源だそうで、登場人物の名前にもいろいろな含みがあって面白いですね。また、海外ファンサイトによると、ジェローム=Jerome=Genome、モロー=Morrow=Tomorrow、フリーマン=抑圧から解放された人に与えられる名前という含みがあるそうです。