海底摸猫

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【ネタバレ感想・考察】最も幸せで、最も悲しく、最も美しい結末『存在の耐えられない軽さ』という映画について

『存在の耐えられない軽さ』という映画を見た。最初は肌色の面積が多いだけの映画かと思ってしまったけど、最後まで観るとそうかこれってとても純度の高い恋愛映画で、最後のあの一瞬に「存在の重み」のすべてが凝縮されているのかという強烈な一撃があり、見終えた後にしばらく苦しくなった。(名作とされる映画を見た後によく苦しくなるのでいつものことかもしれない笑)

誰かを愛するのも裏切るのも修復を試みるのもそれらすべての失敗を含め、生きているこの時間は一瞬のことであり、選択の結果も、確かにその場所に存在していたという痕跡も、愛の記憶さえもあっけなく夢のように消え去っていく。存在していたことの、その軽さ。あとに残されるのは吹けば飛ぶような「存在の痕跡」とでもいうべきチリの山だけ。テレーザが撮りためた歴史の証明写真であったり、トマシュの外科医としてのキャリアであったり、サビーナの祖国への思いであったり…。登場人物の誰も一つたりとも選択を誤ったわけではない。それでも運命や政治的な巨大な力の前では、その命も想いも、人生の甘美な喜びも、吹けば飛ぶような軽さでしかない。その耐えがたいほどの軽さというものが全編を通して残酷なまでに描かれていた。

人物たちのその儚さ、意思とは無関係に運命に押し流されてゆく様や抗えなさのなかで確かに幸せだったという記憶だけが後に残る…。

ふとまるでシューベルトの即興曲のようだなと思った。

 

Schubert: 4 Impromptus, D. 935 (Op. 142): No. 1 in F Minor. Allegro moderato · Krystian Zimerman · Franz Schubert

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プレイボーイのトマシュをはじめ登場人物たちがその辺のモブとすぐに「デキて」しまう映画のお約束的な展開はあるけど、性愛の自由は本来誰にでも保障されているものだということを(ある意味で)思い出させ、人によっては愛と性は分かちがたく一体となっていることもあれば、全く別々のものとして同時に存在していることもある。テレーザが夫の不倫相手(サビーナ)との同性愛関係を通じて夫を理解していったように、自分が愛する人の愛の形を発見し、理解していくこと。その苦悩と受容の過程が描かれていたと思う。トマシュの方も肉体的には他の女性に惹かれたとしても、妻のために逃亡先のスイスからソ連占領下のチェコへ戻る決断をするほど愛していたのはテレーザ一人だけだった。それはトマシュにとってはテレーザに対してする愛ゆえの献身だろうと思う。占領下の祖国に戻るという、自己犠牲的な性質の献身。国へ戻る際にパスポートは占領軍によって没収される。つまり二度と外国には逃げられない。占領下の国内では思想を監視され、当局の政治思想にそぐわなければ「撤回」するよう圧力をかけられる。彼は結局、政治的圧力に屈服しない道を選ぶ。その結果、医者としてのキャリアを失い窓掃除の仕事に甘んじることになる。同時期テレーザが働くバーではウィーンで元大使をしていた男性が床掃除係として働いている。

窓掃除係に甘んじることとなったとはいえトマシュのモテモテ伝説は終わることがない。殺し文句の「Take off your clothes.」で女たちがたちまち自ら全裸になっていくのがこれまた面白いんだけど笑。ルックス良し頭良し社会的信用良しが揃い、ここまでモテにモテまくる人生というのはその辺の井戸からあふれんばかりのコカ・コーラが湧いている状態に近いのかもしれない。「どうしておいしい水がこんなにたくさん湧いているのに飲んではいけないの?」状態。笑

その後、夫婦は田舎に移り農業を始めたことで、(異性が目に入らなくなり?)初めて心の平穏を得る。子供のいない夫婦が結婚初日に迎えた犬の安楽死と埋葬を経て、夫婦は初めて二人きりになり、仕事終わりに仲間たちと近くの酒場で飲み明かした後の帰り道、二人は幸せの頂点だった。そしてトマシュの最後の言葉…最も幸せで、最も悲しく、最も美しい結末に思わず涙が出た。とてもいい映画だったな。

ところでテレーザ役のジュリエット・ビノシュが美しすぎたのだけど、この女優さんがあまりに美しすぎたためかこの映画の結末があまりに美しすぎたためかはわからないけど、2001年のフランス映画『アメリ』の主人公と見た目や雰囲気が激似になっている。ところどころカットも似た場面があるような…。テレーザが窓の外をのぞくシーンなど。(『アメリ』も初見時高校生のときからもう好きで何度見たかわからないくらい…)

本作は映画にまつわる歴史やトリビアを調べているとたびたび名前が挙がるので長い間気になっていたものの、配信で見られるまでなかなか手を出せずにいた作品だった。これほど美しい映画なのであれば、きっと何度も参照され、後年の映画に強い影響を及ぼした作品に違いないのだろうな。

小説版は未読だけど、読み終えることができればまたいつか感想を書き残せればなと思う。

 

Prime Video: The Unbearable Lightness Of Being

 

『存在の耐えられない軽さ』(The Unbearable Lightness of Being)は、1988年製作のアメリカ映画。 冷戦下のチェコスロバキアのプラハの春を題材にしたミラン・クンデラの同名小説の映画化。

 

『存在の耐えられない軽さ』(1988年)あらすじ:

 

1968年、民主化運動「プラハの春」に揺れるチェコスロバキア。

プラハで暮らす優秀な脳外科医トマシュは、特定の女性に束縛されることを嫌い、自由奔放な恋愛を楽しんでいた。そんな彼が地方の町で出会ったのが、純朴なウェイトレスのテレーザだった。トマシュを追ってプラハにやってきた彼女と暮らし始め、やがて結婚するものの、トマシュは画家のサビーナをはじめとする女性たちとの関係を断とうとしない。彼にとって愛と肉体関係は別のものだったが、テレーザはその奔放さに深く傷つき、嫉妬と苦悩を募らせていく。

やがてソ連軍の侵攻によってプラハの春は終焉を迎え、二人はスイスへ亡命する。しかし、異国での生活に孤独を深めたテレーザは、単身プラハへ帰国。トマシュも彼女を追って帰国するが、政治的な圧力によって医師としての地位を失ってしまう。

自由を求めながらも愛する女性との絆を断ち切れないトマシュと、愛ゆえに苦しみ続けるテレーザ。二人はやがて都会を離れ、田舎で穏やかな生活を送り始める。ようやくささやかな幸福を手にしたかに見えた二人だったが、その日々は突然の交通事故によって幕を閉じる。

一方、故郷を離れて自由に生き続けていたサビーナのもとに、二人の訃報が届くのだった。