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亡くなった飼い猫のこと; Fare thee well, so long, goodbye, as the cat said...

 

5~6月は移行の時期だった。心境の変化が大きく、混乱の渦中にいて、自分でも自分が今どんな状況なのか言葉にするのが難しかった。過去から現在への移行、生から死、そして無から有、そしてまた有から無へ。ふと気がつくと心ここにあらずで、自分が今置かれている場所、環境を、信じられないような、疑うような目で見ていた。そんな2ヶ月を過ごした気がする。

とりわけ私に大きな心境の変化を与えたのは12年を共に過ごした飼い猫の死だった。

みーちゃん。彼女のことを考えると今でも涙がこみ上げてくる。私は魂が人間だけの物だとは思わない。魂がないものとは会話ができない。だけど私はこの12年間、人が用いる言語ではなかったけれど、たしかにみーちゃんと会話をしてきたから。長年をともに過ごしたもの同士の阿吽の呼吸が成立していたし、みーちゃんは賢い猫だったから、目が合うといつも私に話しかけてくる猫でもあった。しかし彼女は不幸にして人間と同じ舌を持っていなかったので、私には猫語にしか聞こえない音の響きで一生懸命意思疎通しようとし、そして私にも彼女が何を言いたいのかはわかるのだ。なにしろ12年も一緒だったんだから。言葉は通じて当然なのである。

 

みーちゃんが亡くなって1ヶ月が経ち、少しずつ気持ちの整理がついてはいるけど、愛した存在を失うことは、辛く、苦しい。平気なつもりでも、いつまで経っても消えない悲しみが心の奥に居座ったようで。いつかは乗り越えられるように、そのときの心境を書きたいと思います。

 

 

みーちゃんが亡くなった。享年18歳だった。私はこの一年間、彼女が痩せてガリガリになっていることや、おしっこの回数が多くなっていること、食が細いこと、毛並みがボサボサなこと、朝方に寂しそうに遠吠えのように鳴くことを見て見ぬ振りしていたように思う。自分ではその状況を受け入れているつもりだったが、彼女の身に何が起こっているのか、自然に任せるしかないと思っていた。そして私にはそうするしかなかった。18歳の猫に人間がしてやれることって一体なんなのか? 生き物は無限には生きられない。猫も人間も当たり前のことなのに。どうしてその現実を見つめるのはこんなにも苦しいのか?死んだらどこへ行くのか? 死にゆく体に栄養を与えチューブにつなぎ、苦痛を長引かせてでも私の手元に置くべきだったのか?彼女をそんなふうにしていつまでも私のところに繋ぎ止めていいのか?

みーちゃんはなくなる三日前まで自力で餌を食べ、トイレに行った。どちらも量は少なかったけれど。それ以外の時間は寝て過ごしていた。いつものお気に入りのベンチ。亡くなった後に私もそのベンチに腰掛けてみると意外と硬かったことに気づいた。猫の体重ではそうでもなかったかもしれないが、それでもきっとその目の前にあるソファの方がよほど居心地が良かっただろう。前にそのソファに粗相をされ、私が激怒したので、みーちゃんはそれ以来そのソファに近づかなくなったのだ。私が嫌がることはしない、それが彼女のポリシーだった。飼い猫なんて私以外の人にはただの動物で。死んだって誰も興味を示さない。でも、彼女は私の同居人いや同居猫だった。20代を共に駆け抜けてくれたパートナーだった。悲しいことがあった時、彼女の体で涙を拭かせてもらった。

猫の平均寿命を折り返した頃から、彼女が幸せそうに目を細めるときも、好物にがっついてるときも、「私の名前」を呼ぶときも、いつも死が頭をちらついた。その時がいつかくることはわかっていたが、来ないような気もしていた。なぜなら彼女は私の猫で、人間の言葉を理解し、自分の要求を主張し、プライドが高く高潔で、家の中ならどこででも好きなように生きられる猫だったからだ。みーちゃんは化け猫だから死ぬわけがないとたかを括っていた。

飼い猫は他人にはただの動物かもしれないが、私にはとてもそうは思えない。長年にわたって時間を共有し、相手の願いを聞き入れ、逆に聞き入れてもらった経験をしていると、とてもただの動物ではありえなくなる。

みーちゃんは金曜日の午前2時43分に亡くなった。二日前の朝に立てなくなり、そのまま意識がなくなって倒れ、それから二度と歩けなくなった。初めはまだ私の手から餌を食べたが、夜になると体が痛いのか内臓からの苦痛に耐えているのか、手足をピンと伸ばしたまま硬直し、大量の汗、と最初は思ったが猫は肉球以外に汗腺はないので、尿をその場に流しながら、彼女の身を襲う何かと戦っていた。食事は一切取れなくなった。私は彼女を病院に連れて行くか悩んだ。病院に行けば、聞きたくないことを教えてくれるだろう。18歳で年だからとか、余命はあとこれくらいで、安らかに死なせる方法もあるだとか、あるいはこれこれの処置をすれば一週間は生きられるかもしれない、とか。そんなの絶対に嫌だった。18歳まで生きてくれた彼女の最期を襲ったのがどんな苦しみであれ、私は自分で手を下すのはできない臆病者だったから、自然に任せるしか私にはできなかった。名前を呼んで、そのことを話すと、彼女は尻尾で返事をした。からっとした天気のいい日の夕暮れ、私は窓を開けて、五月の匂いを彼女に嗅がせてあげた。

動かない彼女の横で、呼吸の度に上下する彼女のお腹を確かめながら、たくさんのことを話した。京都にいた頃、6歳の彼女に会ったこと。大学の下宿先の狭いワンルームで半年一緒に暮らしたこと、暮らし始めて二週間くらいで一緒に寝てくれるようになったこと、実家に戻ってからは私が帰宅する音を乗っていたバイクのエンジン音で聴き分けて玄関まで迎えにきてくれたこと、今の部屋に越してからリビングでたくさん遊んだこと、数年前から猫アレルギーを発症して夜は一緒に寝られなくなったこと、夜間にリビングにひとりにしてごめんね、だとか色々。12年も一緒にいると言葉が通じる(それは間違いない)ので、彼女は私の言葉を聞いていたと思う。胸に耳を当てると、心臓の規則的な鼓動がトクトクトクトクと聞こえた。リズムは人間よりも速かった。生き物の心臓が一生に脈を刻む回数はどの生き物もあまり変わらないという話を思い出した。心臓の鼓動がその生き物の時計なのだと思った。

水曜は家で仕事をしたが、木曜はどうしても職場に行かなければならなかった。木曜の朝になると、彼女は意識を取り戻し、目に光が戻り、目で私の姿を追った。話しかけると耳で反応してくれた。でも体はもう動かせないらしく、体勢に変化はなかった。私は4時間おきに彼女の体を動かし、寝返りさせた。体はとても細く、寝たきりなので平べったくなっていた。スプーンで水を口元に近づけると少し飲んでくれたが、ふやかした餌も大好きな缶詰も匂いを嗅ぐだけで食べようとはしなかった。わずかな飲み水しか口にしていないのに、ペットシーツを4時間おきに取り替えなければならないほど尿の回数が多かった。この2年ほど病院に連れて行っていなかったが(病院に行けば嘔吐を繰り返すほどストレスを溜める猫なので)、おそらく腎不全だったと思う。木曜日は午後からやはり職場に出なければならず、顔を何度も撫でて、私のことは待ってくれなくてもいいから、と言って出かけた。木曜日は寄り道せずに帰宅した。彼女はまだ息をしていたが、薄く開かれた目から空中を見つめるばかりで、名前を呼んでもほとんど反応はなかったが、時々、私の気配を感じてか鼻や耳を動かした。水を近づけると数回ペロペロと舐めてくれた。

木曜の夜、できるだけいつものように過ごした。料理を作って食べ、テレビを見たりした。みーちゃんはだんだん夢と現実の間を彷徨うようになった。呼びかけにはもちろん答えない。目は半分開かれ、夢うつつの表情だった。いつも鋭い眼光を光らせるみーちゃんの一度も見たことのない表情だった。深夜2時過ぎ、私は就寝しようとみーちゃんに寝返りを打たせてあげた。体に反応はなく、水をわずかしか飲ませていないにもかかわらず相変わらずまた尿が出ていた。手脚の重なってる部分を移動させたり、体の向きを変えてあげた。するとみーちゃんの呼吸が速くなった。明らかに普通の呼吸ではなく、大きく吸い込んでは細切れに速い呼吸を繰り返した。酸素が体に行き渡らず、息苦しさに喘いでいるようだった。もうすぐなのかと直感した。私は早く私の猫が苦痛から解放されるように祈ることしかできなかった。お別れの言葉も、お礼の言葉もこの二日間で全て言い尽くしたと思った。でも、いよいよという時になって、私はやっぱりみーちゃんに「死なないで」と泣き縋ることしかできなかった。私を置いて死なないでほしい。どこにも行かないでほしい。そんな言葉をかけ、二歳児のように泣くしかできなかった。みーちゃんはやがて、呼吸が止まって、10秒後にまた大きく吸い込む周期的な呼吸に入った。それは15分くらい続いた。呼吸が止まっている間はお腹も動かなかった。どの呼吸が最後になってもおかしくないと思った。だけどやがて、みーちゃんの目が一段と大きく見開かれ、空中を見つめるようになり、ハッハッハッという短く浅い呼吸に変わった。突然、どこにそんな力が残っていたのか脚を前後に動かし、走るような動作を見せた。そして全身を強く震わせて痙攣し、低く鈍い声で唸った。恐ろしかった。3回痙攣すると、全身から力が抜け、見開かれた目の瞳孔がパッと広がった。一瞬だった。よくある表現だけど、「連れていかれる」とか「死神が鎌を振り下ろす」という言葉がしっくりくる一瞬の出来事だった。多分痙攣が始まってから1分もなかったと思う。胸に耳を当てるともう鼓動の音がしなかった。みーちゃんはそうして死んでしまった。瞼を触ってもさっきまで示していた反応がなく、粘土の塊を触っているみたいだった。まだ体温が残る体を抱きしめて私はまた泣いた。金曜日の2時43分。いつも私が就寝前にみーちゃんの頭を撫で、おやすみの挨拶をする時間だった。たまたまかもしれないが、みーちゃんはその時刻を選んだのだろうか。時間が来ればまた撫でてもらえると思って。私が寝てる間に逝ってしまわないように。そんな気がしている。私はみーちゃんの長くてすらっとした腕を何度も撫でた。彼女が残した体温をいつまでも感じていたかったが、もうそこに残されたものはみーちゃんではなかった。30分もすると、体の硬直が始まった。何度も彼女を撫で、耳を触り、柔らかい胸毛に触れた。でも、もうそれはみーちゃんではなかった。私は彼女に最後のおやすみの挨拶をし、寝室に向かった。夜更けで非常に疲れていたこともあって、すぐに寝ついた。

朝になると、私は起き上がれず、母に電話して車で公営の火葬場まで連れて行ってもらえるように頼んだ。リビングに行くのが怖かった。会社は午前休を取った。私が行動を起こせばあの子と過ごす時間が刻一刻と終わりに近づく。12年間一緒だったのに、その日々の終わりに向かって一歩一歩歩き出すことになる。起き上がり、リビングへ行くと夜更けに見た状態から何も変化はなかった。氷のように冷たいなんて表現があるけれど、みーちゃんの体は意外にも暖かかった。その日が暖かかったから冷えなかったのかもしれないが、私はその暖かさに少し安心した。みーちゃんの目は開かれたまま、閉じようとしたが何度やってもうまく閉じ切らなかった。彼女が好きだった缶詰を一つと、ベランダに咲いたバラの花を一つと、私の髪の毛を2本、彼女のそばに置いた。ふとその時、これから送り出すみーちゃんの持ち物はこれだけだったかと思った。部屋の中に私の持ち物はこんなにあるのに、これだけの物だけで彼女は私と長年一緒に生きてくれたのかと。私は母と火葬場に向かった。山の中にある静かな場所で、5月らしくたくさんの野草が黄色やピンクの花を咲かせていた。車の中で最後のお別れをし、係の人に案内された台にみーちゃんを置いた。焼香もさせてもらった。骨はもらわないことにした。そしてそれっきり、みーちゃんは私の前からいなくなってしまった。最後に撫でた時の感触を私の手にいつまでも残したまま。

仕事を急に午前休んだので、午後はどうしても職場に行かなければならなかったが、とても働ける気分ではなく、その日が期限の仕事を片付けて早退してしまった。火葬の時刻が近づくと涙が止まらなくなった。あと少しでこの世にみーちゃんがいたことの証拠がなくなってしまうのかと。あの子の体が焼かれてしまうのかと。肉体はあの子が地上を好きに歩き回るための道具だから、道具を手放した後のみーちゃんの体が焼かれたとしてもきっと苦しみは感じないだろうとか、そんなことを思った。

部屋に帰り、リビングへ行くと、当たり前だがいつも私を出迎えてくれるあの声はなかった。あの子が気に入っていたベンチに腰を下ろすと、本当に部屋の中心から私の椅子やソファが見渡せ、私の動きが良く見える位置だと思った。あの子はいつも私を背後から観察していた。背後から見守られるのに慣れすぎていて、自分の椅子に座っても部屋にみーちゃんの気配がないことが不思議でたまらなかった。時々、振り返ってみたが、どこにもみーちゃんはいない。みーちゃんはどこにもいなくなってしまったが、その代わり、私はあの子を至る所に感じるようになった。5月の風の中に、流れる水の中に、新しくベランダに蕾をつけた花の中に、彼女を感じるようになった。

おしゃべりな猫で、賢い猫だったみーちゃん。人間の言葉を理解し、人間のように話した猫。あるいは猫語を話す猫の姿をした人間。音の長短を使い分け、疑問形を駆使し、人と言葉でコミュニケーションできると理解していた猫。ただ、人間と同じような舌を持っていなかっただけの猫。いつか、あまりにもうるさく話しかけてくるので「来世では神様に人間みたいな舌をくださいって注文しなさい!」と反論したっけ。ちゃんと神様に注文できたのかなあ。それとも世界のどこかで子猫として生まれ変わったのかな。でも多分、みーちゃんとはまた会えるような気がする。姿形が変わったとしても、もしまた会えたら私はきっとすぐにみーちゃんだとわかるだろう。だから、その時までバイバイ。12年間一緒にいてくれてありがとうね、みーちゃん。

 

みーちゃん6歳 京都にて

本当にたくさんの写真を撮ってきたけど、やっぱり何度も見返して思い出深いのはこの一枚。京都で一緒に暮らし始めたわずか2週間後には我が物顔で人間のベッドを占拠する猫でした😙

 

「じゃあね。そういうことだから。今はさようなら。バイバイ」